■DENON誕生の背景
日本の放送における録音機の利用は昭和7年(1932)頃からである。ただし、当時レコード会社ではろう盤を用いた大型機によって録音を行っていたが、放送のように即時性、移動録音の必要がある使用方法に対しては実用にならなかった。昭和11年(1936)にベルリンオリンピックにおいて、テレフンケン社製の円盤録音機が使われ、放送に大きく貢献をする。録音後直ちに再生ができる即時性は、放送用録音機として特に重要視された。NHKもこの機械を導入すると共に、昭和15年(1940)に予定される東京オリンピックに向けて、国産化の積極的な活動がスタートする。くしくも外国製録音機の輸入途絶で日本の放送局が恐慌をきたしている中で、技術者坪田耕一率いるDENON(電音)が登場し、昭和14年(1939)9月にNHK仕様一号機を完成させる。
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■東京日日新聞(後の毎日新聞)に掲載された国産初の円盤式録音機と開発者を称えた記事(左)
昭和13年(1938)6月4日(土)
■坪田耕一
昭和8年(1933)早稲田理工卒。ヴァイオリニスト。
同期にソニー創設者 井深大氏等。
昭和9年(1934)日本電気音響研究所新設。
・・・実質的DENONのルーツ
昭和13年(1938)日本フィルモン入社。
記事はフィルモンの時代。在学中よりカッターの研究。
研究所において円盤録音機試作機完成。
録音盤の技術的完成により、同記事に至る。
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昭和14年(1939)
■DENONの誕生 〜 放送用国産円盤録音機の誕生 |
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■電音・三鷹工場正門
昭和14年5月、研究所を会社組織に改め、出資者加瀬林之助を社長に迎えて「株式会社日本電音機製作所」とする。DENONブランド誕生。
9月に本社を京橋区木挽町に置く。
昭和15年5月、全部門が三鷹に集結し、日本唯一の録音機工場デビュー。
東京オリンピックは第二次大戦により中止になるも、注文は月ごとに増加。
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■国産初の円盤式録音機DENON TPR-14-C
昭和14年9月完成。15年(1940)の東京オリンピックに向けてNHKは国内数社に国産化を依頼。
輸入品の性能を陵駕するDENON製を採用。
尚、NHKはテレフンケン製録音機使用時代から、既にカッターのみ坪田製を採用。
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■DENON TPR-14-C型録音再生機の機構部 |
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■国産初の円盤式録音機をバックに電音技術陣 |
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■DENON TPR-14-C型のカタログ表紙
(マイクロホンは東京電気のベロシティー型を採用した。)
東京、大阪(テレフンケン使用)を除くNHK中央放送局向け7台の注文よりスタート。
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■録音再生機 機構部のモーターとカップリング |
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■カッティング時の切屑
円盤録音機の溝は内周から切っていく。
(切屑が内周に引かれるため。市販レコードとは異なる)
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■カッターC-13-C型
ダンパーオイルとして、当時ひまし油が使われた。
セロファンの薄い膜で洩れを防いだ。このメンテが大変であった。
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■昭和15年にNHKに納入した円盤録音機DR-14-B |
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昭和15年(1940)
■DENONの貢献 〜 電気通信事業は国家の神経系統
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■電信70年・電話50年・放送15年 記念博覧会ポスター
逓信博物館、電気通信学会、日本ラジオ協会主催にて、昭和15年(1940)10月に日本橋の三越で開催された。
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■DENON DS-15-A型 据置型録音装置
電信70年・電話50年・放送15年 記念博覧会に出展された。
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昭和16〜17年(1941〜42年)
■DENONの貢献 〜 円盤録音機の改良、再生機の発展
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■DENON DP-17-K 可搬型録音再生機
B型の重量と高さをスリム化したモデル。戦争の開始により録音機は放送以外に兵器として国家の必需品となる。この機械は昭和23年頃まで活躍。玉音放送の録音はこの機械で行われた。
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■スリムになったK型録音機のターンテーブル駆動機構部
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■DENON P-16-A型 ピックアップ・ヘッド
昭和16年頃からNHK再生機のターンテーブルにDENONが採用される。録音機と同タイプモーター使用。このピックアップは音質抜群なるも、ダンパーレスによるスプリング振動音、もろいサファイア針(ピックアップとしては初めて採用)を使ったことからNHKの現場では採用されなかったが、後のHiFiカートリッジに多大な影響を残す。
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昭和20年(1945)
■DENONの貢献 〜 終戦 日本の歴史を記録
DENONは、昭和18年に海軍の監視下となり、録音機、及び水中マイク、時限装置等の音響兵器にも関わる。
昭和19年1月に社名を「日本電気音響株式会社」とする。
昭和20年8月15日、DENONの円盤録音機を使って玉音放送される。
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■玉音放送の歴史的記録として、現在もNHK放送博物館に保管展示されているDENON円盤録音機。DENONの録音盤も展示されている。
実際に録音に使われたのはDP-17-Kであり、展示品は同タイプのモデル。(B型)
→ 玉音放送について
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昭和20年終戦。終戦の混乱期、軍需品の生産が禁止されたDENONは会社を維持するために録音盤の心材に使ったアルミ板にて弁当箱を生産したり、靴ずみを作ったりして凌いだ。
昭和20年9月NHK放送会館よりAFRS(在日米人向け放送。後のFEN)開始。最初の曲は「煙が目にしみる」だった。音質・中身共に素晴らしいものであった。
日本は78回転レコードであったのに対して、33 1/3の16インチ盤が空輸されていた。放送音響関係者にとっては脅威であった。
昭和21年、PRESTO 6N型円盤録音機が米国の民間情報教育局よりNHKに貸与される。 |
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昭和23年(1948)
■DENONの復興 〜 NHK放送再建計画
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■B型とK型センタードライブ式に使われた78rpmモーター
国産の円盤録音機が求められ、16インチ33回転を実現すべく東芝のドライヤーのモーターを改造したりなど、試行錯誤。
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■ヒステリシス型同期モーター(例) |
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■DENON R-23-A型 円盤録音機
NHK放送5ヵ年計画が発足し、円盤録音再生機の供給がDENONに課せられた。本機はNHKの全国放送局に配備された。
同タイプのRM-23-1Aは小型軽量に作られ、局外用録音機として使用された。
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■DENON P-23-B型 円盤再生機
戦後の円盤再生機の基礎となったモデル。
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■DENON PU-21-A2型ピックアップ |
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昭和24年(1949)
■DENONの浸透 〜 円熟の円盤録音機
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■DENON R-24-B型(NHK SR-16-A型)据置型2連式円盤録音機
プレスト録音機をモデルに開発。16インチ盤への挑戦である。
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■DENON R-24-B型録音機の機構部 |
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■DENON RC-1型 普及型円盤録音機
軽量、と言っても15kgある。昭和24年に発売されたが25年に米国製及び東京通信工業(後のソニー株式会社)製のテープレコーダー登場までの1年で生産は終了となった。
| カタログ表 | カタログ裏 |
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■DENON P-26-H3型 円盤再生機 |
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■デンオンのグレイ型トーンアーム |
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■カートリッジ PUC-3型
フェアチャイルドのコピー、「真似チャイルド」とあだ名されたが、正攻法で作られたこのカートリッジは、見よう見まねで作られた他社製品を断然引き離していた。
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■DENON R-24-D2型(NHK PR-12-1型) 携帯用円盤録音機
可搬型円盤録音機の集大成モデル。
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■DENON C-25-C型カッター
C-16-Eの振動系をそのまま使い、ダンパーをひまし油からビストロイドに変えたモデル。
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■出荷検査が終わったNHK PR-12-1型携帯用円盤録音機 |
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昭和26〜28年(1951〜53)
■DENONの挑戦 〜 円盤録音機の終焉、テープ登場
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■NHK SC-1型(DENON R-26-H型)円盤録音機 |
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■NHK SC-2型(DENON R-27-J型)円盤録音機
最後の円盤録音機となる。
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■ラジオ東京開局前前夜祭プログラム(表紙と番組表)
昭和26年に最初の民放「ラジオ東京」が開局。28年頃までは製造体制の十分でない国産テープ録音機を待てず、高価な米国からの輸入品に頼る一方、円盤はアクセスの容易さを特長にニュース、効果音、コマーシャルに使われた。
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■NHK技研公開日に展示されたLP録音機の試作品
昭和27年にNHKからDENONにLP録音機発注。翌年試作機が公開展示される。レース(旋盤)型。
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■DENONのレース型録音機(R-28-0型)
昭和28年、わが国最初の本格的LP録音機がNHK技研からの発注により納入された。C-28-Gカッターヘッドを搭載し、18kHzの高域まで記録可能。しかし、DENONはカッターヘッドのステレオ化をしなかった。
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■NHK PR-102型可搬型円盤再生機
LP用のカートリッジはPUC-3型
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このころ、円盤録音機は終焉を迎え、テープ録音機の時代を迎える。
DENONは、昭和26年にNHKにテープ型録音機を納入し、これをスタートとして現在でも放送局にはDENON製テープ型録音機が設置されている。
→ 2. テープ録音機の時代(近日公開予定)
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